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見えない視力

マドレーン・ミラー(ABC) 2021 年 03 月 03 日
(マーティの顔写真)写真提供:アンドリュー・ドライヤー

1967年3月15日は、ライオンのマーティ・ナイトにとって一生忘れられない日です。

自分が他の誰かの役に立っていることを知ると、人生はより充実したものになります。

それは、彼が法的に失明者の認定を受けた日でした。マーティにはまだかろうじて視力が残っており、大きい活字なら読むことができました。しかし、それは難しいことでした。1973年の夏、彼の目はまったく見えなくなってしまいました。このとき、マーティは21歳で完全な失明者になったのです。

マーティの失明は網膜色素変性症によるものでした。これは、バルデー・ビードル症候群という遺伝性の病気によって起こる症状です。この病気は視覚障害を進行させる原因となり、また、赤ん坊が余分な手指や足指を持って生まれてくる多指(多趾)症を引き起こす場合もあります。マーティの両親は二人とも目が見えましたが、マーティの三人のきょうだいのうち、二人は盲人です。もう一人は目は見えますが、生まれつき心臓に穴が開いていました。

視力に障害があることに加えて、マーティは生まれつき両手両足に6本ずつ指がありました。彼の両親はそれらの余分な指を切除することに決めましたが、手術後も斜視はそのままでした。マーティの両目は、5歳になる前に手術で矯正されました。幼稚園に入園する時期までに、彼は合計9回ものつらい手術を受けていました。

奉仕への生涯にわたる情熱
奉仕は常に、マーティの人生の重要な一部でした。彼は48年間ライオンズクラブ会員として活動を続けてきましたが、それ以前から奉仕活動に関わり、23B地区の元地区ガバナーだった父親を手助けしていました。彼の母親は、ライオネスクラブの会員でした。

1972年10月、マーティはコネチカット州ウィンステッドのウィンステッド・ライオンズクラブの会員になり、ライオンとして奉仕活動を始めました。4年後、コネチカット州ミドルタウンのミドルタウン・ライオンズクラブに転籍し、多くの役割を果たしました。クラブ会長を3期務め、2003年~2007年までゾーン・チェアパーソンを務めました。現在は今年度の会員委員長を務めています。また、40年以上にわたって会議を欠席したことがほとんどありません。

1973年~1992年まで、マーティはコネチカット州ハートフォードのワズワース・アテネウム美術館にあるライオンズギャラリー・オブ・ザ・センスの審議会メンバーでした。ライオンズクラブ国際財団メルビン・ジョーンズ・フェローであるマーティは、コネチカット・ライオンズ眼疾患研究財団「盲人の騎士(ナイト)」でもあり、45年にわたる奉仕によりシェブロン賞とゴールド・キー賞を授与されました。

2017年10月17日、45年にわたる奉仕により、23C地区のヒラリー・カムニック地区ガバナー からシェブロン賞を受け取るライオン マーティ・ナイト

2017年10月17日、45年にわたる奉仕により、23C地区のヒラリー・カムニック地区ガバナー からシェブロン賞を受け取るライオン マーティ・ナイト

数年前、ミドルタウン市とミドルタウン・ライオンズクラブは、協力してミドルタウンのサウス・グリーンにおいて「公園のベンチ」地域事業に取り組みました。ベンチの楯には以下の文言が記されています。「このベンチは、マーティン・ジョージ ‛マーティ’・ナイトのミドルタウン・ライオンズクラブおよびミドルタウンの地域社会との献身的な奉仕を称えるものです」

マーティ・ナイトの45年にわたる奉仕を称えて新しく献呈されたベンチに座るライオン マーティ・ナイトと歓談するゾーン・チェアパーソンのライオン ハワード・ゲルトマン(左)

マーティ・ナイトの45年にわたる奉仕を称えて新しく献呈されたベンチに座るライオン マーティ・ナイトと歓談するゾーン・チェアパーソンのライオン ハワード・ゲルトマン(左)

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックの中、安全に奉仕するミドルタウン・ライオンズ
この1年間、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が大流行する中、マーティとミドルタウン・ライオンズクラブのその他のライオンたちはオンラインで会合を続けています。彼らはそれでも奉仕への取り組みを続けているのです。彼らは缶のアルミニウム・タブを集めていて、リサイクルされたアルミニウムから得たお金をドナルド・マクドナルド・ハウスに寄付するつもりです。また、祝日パーティーのためにミドルタウンの公園緑地課にも寄付をしました。寄付金は、そうしなければ贈り物をもらえない子供たちや家族への贈り物を購入するために使われました。

マーティは、クラブが数年前に主催した「視力救済者の日」に関するストーリーをこう語っています。「私たちは眼疾患研究のために地域から資金を集めたり、“目が見えることに感謝を”と書いてある大きな紙を掲げたりしました。私たちの重点分野に貢献してくれている多くの人たちが私に微笑んでいたと、仲間のライオンたちがあとで私に教えてくれました。彼らは、目の見えない私が現場にいて視力障害を抱える他の人々を手助けするために活動し、自分も視力障害があるにもかかわらず感謝しているとわかっていたのです。おそらく、このことは彼らが自分自身の視力や見ることの真の意味について考えるきっかけになったのでしょう」

22歳のとき、マーティは地元のYMCAに部屋を借り、そこに20年間住みました。現在、彼は高齢者および障害者向けのアパートに住んでいますが、そこでは皆が家族のように暮らしています。車の運転ができないので、歩いたりバスに乗ったりしてあちこち移動しています。これまでに4匹の盲導犬を飼いました。

マーティは、暗室技術者としてミドルセックス病院に34年間勤務しましたが、X線機器の分野のデジタル化に伴い、2008年に退職しなければなりませんでした。2004年に、彼は「年間優秀職員」で第2位になりました。「私は自分の仕事も職場の仲間も大好きでした」と彼は振り返ります。

障害者について理解を深める手助けをする
マーティの情熱は、障害者について人々を啓発するために役立っています。「私の両親は、私たちにできる限り普通の生活を送ってほしいと望んでいました」マーティは言います。「彼らは私たちに、どんなことに対しても盲目であることを決して言い訳にしてほしくなかったのです。視力を完全に失ってしまいましたが、人生の一時期、目で見ることができた私は幸運です。私は、色や人々、子犬がどのように見えるか知っています」

ライオンであることは、マーティが自分自身を成長させる助けになっています。「ライオンズクラブのおかげで、私は素晴らしい人たちのグループの一員になることができました。自分が他の誰かの役に立っていることを知ると、人生はより充実したものになります。また他のライオンズに、一人の視覚障害者がどのように物事を為すかを理解してもらうためにも役立ちます。少し調整すれば、私は他の皆さんがすることをほとんど何でもできます。障害の有無にかかわらず、すべての人たちに対して、ただそこにいて、自分、そして他の人たちに役立つ良いことをするために最善を尽くしましょう」

1925年以来、ライオンズは視力関連の活動を通じて、世界中の何億人もの人々を支援してきました。これは、ライオンズクラブ国際協会がヘレン・ケラーの「盲人の騎士」となることに全力を尽くすことを誓った年です。ライオン マーティ・ナイトはこの使命を体現し、自身の障害にもかかわらず他者を支援することに喜びを見出しています。

ライオンズのグローバル重点分野について、またライオンズが世界各地で進めている、親切心と思いやりを広げる活動の詳細について理解を深めてください。


ABC 所属のマドレーン・ミラーは、ライオンズクラブ国際協会の戦略的広報上級スペシャリストです。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、世界中の地域にさまざまな影響を与えています。私たちがどこにいても安全に奉仕できるようにするため、ライオンズは疾病管理センター、世界保健機関、または地方自治体のガイドラインに従う必要があります。あなたの地域で安全に奉仕するために役立つ情報ページ安全に奉仕するためにをご覧ください。