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2007-2008年度国際会長 マヘンドラ・アマラスリヤ
ライオンズの変化に挑む

マヘンドラ・アマラスリヤ新国際会長は数年前、スリランカの有力誌の表紙を飾った。銀行家で企業リーダーでもある彼は、母国の政界・ビジネス界の上層部と深く結びついた家庭に生まれた。従って彼は、指導者としての長い経験を持っている。
また、組織変革の経験もある。会長をよく知る人々によれば、彼にはビジネスに関する先見の明があり、将来を見通す能力に恵まれている。「彼は指導者として、人々の意欲をかき立てました。常に全力を傾け、先頭に立って人々を導いてきたのです」と、仕事仲間のケン・バレンドラは言う。スリランカのマーセラ・シルバ元協議会議長も「彼は今日を考え、明日を考え、明日の次のことまで考えます」と述べている。 ライオンズは今、転変する世界への適応を求められている。「国際会長としての任期中、私は全力で変化を推進するつもりです」とアマラスリヤ会長は語る。


1980年代、元地区ガバナーだったアマラスリヤ会長は、女性がなぜ会員になれないのか理解出来なかった。国際協会が女性の入会を認める5年近く前のことである。彼には、女性会員を受け入れることに数々の利点が感じられたのである。「特に南アジアの国々では、女性はライオンズで常に重要な役割を果たしていました」と彼は言う。 「世界の他の地域とは異なり、彼女たちはクラブ例会に出席していました。また、特に子どもたちを対象にした事業にも参加していました。そのため私は、女性を正会員として迎え入れる時期が来ていると感じたのです。スリランカではずっと昔から、その立場が与えられていたからです」 アマラスリヤ会長は伝統に反して、女性を会員として認める決議案を提出した。この提案はそれまで、正式には一度も検討されたことのないものであった。世界130万人のライオンズの指導者となった今日に至るまで、彼はこうした革新の精神を貫いている。彼は変化を推進し、会員にも同様の努力を求めることになるだろう。つまり、会員は例会、奉仕、会員招請の新たな方法を採用しなければならない。「方法が有効である限り、それを変える必要はありません。しかし、効果のないものであれば、すべてを変える覚悟が必要です」

シンハラ語を母語とするアマラスリヤ会長は、「ライオンズは革命を必要としているわけではありません。その基本的な価値観は、損なわれてはならないのです」と語る。 「しかし、基本的な方法については、いくつかの変化が必要です。そしてそれは、クラブ・レベルから始めなければなりません。上層部の指導者は、会員を動機付け、変化を促すことが出来るでしょう。しかし、私たちが先に進むためには、クラブが個々の会員の興味と意欲をかき立てる必要があるのです」
「私は組織を見直し、新たな方法を取り入れ、国際協会を確実に前進させようと計画しています」


アマラスリヤ会長はこのような変化の価値を、クラブでの個人的な経験を通して学んだ。彼は仕事仲間の招請を受けて、67年にガレ・ライオンズクラブのチャーター・メンバーに加わった。このクラブは、特に積極的なクラブとは言えなかった。数年間はステータス・クオの状態にあり、彼自身も平凡な会員 の立場に甘んじていた。彼が目覚めたのは、クラブが貧しい村の支援に乗り出した時のことである。彼はその日、文字通り袖をまくり上げて作業に取り組まなければならなかった。

「私たちは水浴用の井戸を建設するため、掘削作業を行っていました。中には、疑り深そうに眺めている人々もいました。しかし、私たちはお昼までに作業を完了し、村人と自分自身を納得させることが出来たのです。それは恐らく、ライオニズムの重要性と大きな効果を、私が初めて理解した瞬間でした」
アマラスリヤ会長はまず、会計として会費を確実に集めることにより、クラブを再生に導いた。その後は会長として会員を動機付け、新たな事業に着手させた。「彼は一度参加を決意すると、ライオンズのために全力を尽くしてくれました」と、入会時のスポンサーであるライオンA・R・M・ザインは振り返る。


ライオンズに加わったことで、アマラスリヤ会長の経験は広がった。
「私はライオンズに加わることで、さまざまな人々と出会うことが出来ました」と彼は言う。「私の家族は上流階級に属していたのです。スリランカは 小さな島国ですが、多民族・多宗教の社会です。会員として国内各地を訪ねる中で、私は人々と親しみ、彼らの物の見方や考え方を理解するようになりました。 そのため、人間的なバランスを高めることが出来たのでしょう」
恵まれない人々を目の当たりにしたことは、特に子どもたちに対する彼の同情をかき立てた。彼は学校のレオクラブのスポンサーとなり、 1978‐79年度には地区ガバナーとして、青少年奉仕団体の育成を支援した。この組織は、青少年の間に善良な市民としての自覚、環境保護、全般的な責任 感を培うものであり、主に学校を基盤として約125の団体が設立された。


アマラスリヤ会長は、スリランカの首都コロンボに7人姉弟の1人として生まれた。彼の祖父は、スリランカ初の茶園経営者の1人である。彼の父も地所を所有し、政治的な要職を歴任して最終的にはスリランカ(当時はセイロン)の上院議長となった。
アマラスリヤ会長に影響を及ぼしたのは、誰よりもまず母親であった。「母は非常に多才な女性でした」と彼は言う。「彼女は驚くほど多くの側面で、 私を手助けしてくれました。宝石のデザインや翻訳が得意で、手を染めて上達しないものはほとんどなかったのです。彼女はその優れた人格によって、私の価値観、考え方、将来像を決定付けることになりました」
母は父や祖父と同様、社会に還元することの重要性を彼に植えつけた。彼の父と祖父はスリランカ南部に学校を設立し、母は敬虔な仏教徒であった。 「仏教は私に大きな影響を及ぼしています。私は母を通して、常に信仰に触れていたのです。彼女は後年、仏教の慈善事業のための資金集めにとても熱心に取り 組むようになりました。従って、与えるという行為、慈善、奉仕に対する私の義務感は、彼女の影響によるものと言えるでしょう」


アマラスリヤ会長は、セイロン大学で植物学を学んだ。そこで彼は、クシュラニという魅力的なクラスメートに出会うことになる。彼は彼女の自宅を訪ね、化学の勉強を手伝った。彼らは互いに惹かれあっていた。 「彼はクールでもの静かで、私の周囲にいたどんな人間とも違って見えました」と、彼女は振り返る。アマラスリヤ会長はと言えば、彼女は自分にぴったりな女性だと思っていた。彼は愛情を隠そうともせず、「彼女はとても知性的な女性です。同時にとても親しみやすく、あらゆる階層のあらゆる人々と信頼を 築くことが出来るのです」と述べている。2人は卒業と同時に結婚した。
アマラスリヤ会長は、クシュラニ夫人を熱愛している。一方の夫人は、ライオンズに対する彼の献身を、冗談めかして次のように語る。「それは一種 の溺愛だと思います。彼は私との結婚よりも、まずライオニズムと結婚しているのです。私は2番目の妻なのね、といつも彼をからかっています」。その彼女も、やはり長年の会員である。


アマラスリヤ会長は貿易会社に勤め、ゴムとスパイス・オイルの輸出を管理していた。彼は急速に昇進を重ね、スリランカのビジネス・リーダーの1 人となった。現在はセイロン商業銀行の会長に任じ、ユナイテッド・モーターズの会長やスリランカ国際商工会議所の会頭を務めていたこともある。彼は聡明、 意欲的、革新的で、すがすがしいまでに正直かつ率直である。「彼はコミュニケーションがとても上手です」と、仕事仲間のバレンダは言う。「気品があり、控 えめで、率直にものを言うことが出来るのです」


彼は自らの価値観や誠意を犠牲にすることなく、頂点に登り詰めた人物である。ビジネス誌『ランカ・マンスリー・ダイジェスト』の表紙を飾った彼 の記事は、商業倫理に関する質疑応答のインタビューであった。この記事の序文は、「我が国の追い詰められたビジネス界と政治界においては、彼の構築するイ メージは稀なものとなりつつある。そこでは、職業意識と倫理が何よりも重視される」と述べている。
人々は彼を信頼し、その支持すべき立場を理解している、と彼の同僚は言う。 「彼の成功の主な理由は、その誠意が疑いのないものであり、また愚直なまでに正直なことにあります」とバレンドラは言い、「マヘンドラは、正しい 理由のためならどんな苦難も厭わないでしょう。彼は正義の勝利を目にするまで、常に努力を惜しまないはずです」と、弟のセパラ・アマラスリヤも語る。


アマラスリヤ会長の社会に対する責任感は、ライオンズとしての役割を超えて、職業や私生活にも及んでいる。彼の銀行では、大学の成績優秀者に奨 学金を提供し、必要に応じて学費を負担している。また、クシュラニ夫人は会長の積極的な支援の下に、ライオンズクラブを通して身体障害児や精神障害児を支援する広範な慈善事業を行っている。「彼は民間の組織のために働いてきましたが、民間人らしからぬところがあるようです」と夫人は言う。「人間は地球上に 占める空間の賃貸料を支払わなければならないと、彼はいつも感じていたのです」


会長と夫人は長年、ガレの浜辺の散策を楽しんでいた。忙しい毎日の中で、そこにくつろぎを見いだしていたのである。しかし数年前、この散歩は突然終わりを告げた。「津波の後、浜辺は私にとって魅力を失ってしまいました。今では時間があったとしても、私たちが海岸に降りることはありません」と夫人は言う。


2004年の津波に襲われたスリランカでは、4万人の国民が命を落とし、12万軒の住居が破壊された。その時、コロンボにいたアマラスリヤ会長は、次のように語る。「それは信じられない光景でした。線路は捻じ曲がり、ボートは陸に打ち上げられ、車は海を漂っていたのです。私は大きな衝撃と無力感 に襲われました」
ライオンズは直ちに支援に乗り出し、食料や避難所を提供した。世界中のライオンズからの寄付を受けて、またLCIFと協力したスリランカのライ オンズによって、1459件の住居が建設され、職業訓練が行われた。「人々は今、未来に希望を持っています。それは彼らにとって、非常に重要なことなのです」と会長は語る。

津波は、ライオンズの絶対的な必要性を立証する出来事となった。ライオンズクラブの強化と成長を保証するため、アマラスリヤ国際会長は新たな決意を固めている。「変化への挑戦」というテーマに基づく彼のプログラムは、ライオンズが直面する課題を見つめ、その解決策を示したものである。
「国際協会は偉大なる組織であり、そのことに疑いはありません。しかし、21世紀の要請を満たすためには、ある種の変化が必要です。国際協会は、外界の急激な変化から立ち遅れているように感じられます」
「内部変革を行わない限り、国際協会と21世紀の関係は絶たれてしまいます。その結果、若い人々を入会させることは不可能となるでしょう。若者に とって、ライオンズは常に年長者の組織です。従って、ライオニズムには参加する価値があると、彼らが考えていないことは明らかです」

アマラスリヤ会長はこれを覆すために、例えば例会の形式を変えること、ピクニックを主催すること、サイバー・クラブの結成を考えることなどを求めている。「ライオンズのブランド名を再生させるため、私たちには内部変革が不可欠です。また、人々が官僚的な手続きや手順、見せかけの権威に縛られることのないよう、柔軟性が必要です。若者は事業の実践を求める傾向が強く、会議に長い時間を費やしたくはないようです。そのため、私は国際協会を大きく変える 必要があると感じるのです。私たちは、会員に内部変革を呼び掛けることで、ライオンズの新たなイメージを構築しなければなりません。それは、力強く活気に 満ちた21世紀の組織としてのイメージです」 未来は自ら作り上げるものである。彼はその信念に基づき、「未来は人によって異なるのではないでしょうか。誰もが同じ行動をとり続けることは不可能です」と語る。 「私たちにとって、未来は過去よりも重要なのです」